ゆっくりと失われていく日々の常識たち。
長い旅の終わりに何を見るのだろうか。
孤島系サバイバル・アドベンチャー。(あぶりみかん作)
餅兄漂流記 目次
■第1回 … 餅兄漂流記(壱)、餅兄漂流記(弐)
■第2回 … 餅兄漂流記(参)、餅兄漂流記(四)
■第3回 … 餅兄漂流記(五)、餅兄漂流記(六)
■第4回 … 餅兄漂流記(七)、餅兄漂流記(八)
■第5回 … 餅兄漂流記(九)、餅兄漂流記(壱拾)
■第6回 … 餅兄漂流記(壱壱)、餅兄漂流記(壱弐)
餅兄漂流記(五)
雨がテント布を叩く音で眼が覚めた。
「ボッボッボッボ……」
延々と続くその音は昨日の出来事を遥かかなたの出来事へと押しやってしまう。
そう、この島には老人が住んでいる。
無人島なんかではなかった。
そして私はその老人の食料を奪い、大切にしている犬までも奪ってしまったのだ。
昨日の高揚感はどこへやら。
私は、起き上がるのも億劫なほど、気持ちが落ち込んでいた。
私はこれから何をすべきなのか。
老人はここへ犬を奪い返しにくるだろうか。
もし私が姿を現したら攻撃してくるだろうか。
そして、私は彼の食料を奪ったが、私の食料を奪ったのはあの老人なのだろうか。
あのゆったりと歩く後姿はそんなイメージを連想させない。
なんというか、まるで危険な香りはなかった。
いうなれば、この島でのすべてを受け入れ、ここで果てることを悟りきっているような、聖人めいた雰囲気をまとっていた気さえする。
いや、この考えも全く私の勝手な想像上のものではあるが。
私はテントを出ると雨水をあらゆる容器で受け止めて水分を確保することにした。
考えてみればこの島についてからはじめての雨だ。
私は空に向かって口を開け、雨水を思う存分飲んだ。
さらに、あらゆる容器を用いて水分を確保した。
木に繋いである犬はその白い毛並みをずぶぬれにして、こちらをじっと見ている。
その目はあまりに真っ直ぐだった。
それどころか、私に何か哀願してるようでもある。
吠えもしないし、身じろぎもしない。
あの老人と同じ雰囲気を持っている。
不思議な犬だ。
私は犬の頭をそっと撫でた。
犬はやはり私の顔をじっと見つめている。
テントに戻ると昨日奪った食料が、やはりそこにあった。
自分で奪っておきながら、そこにやはり食料があることにがっかりすらした。
(この食料を老人に返しにいこうか……)
しかし、空腹感には抵抗しきれず、パンをひとかけら口に放り込みゆっくり咀嚼した。
それきりにしよう。
私は明日老人に食料と犬を返しにいくことを決意した。
そこには何も打算的な考えは無かった。
ただ単に返しにいこうと考えた。
どんな顔をするだろうか、怒るだろうか、私を殺そうとするだろうか。
私には小銃がある。
これはあくまで最終手段だ。
出来れば平和的解決を望みたいものだ。
明日は晴れるだろうか。
晴れ渡って欲しい、何故か心からそう願った。
餅兄漂流記(六)
空は曇りだった。
しかし、決して陰鬱な天気ではなかった。
晴れ晴れとした曇り、なんてものがあるかどうかは知らないが、そういった表現があるならば今日はまさにその天気である。
心地よい乾いた風が私を通り過ぎていく。
私はかつて奪った食料を担ぎ、これも奪ってきた犬を引き連れ老人の家に向かった。
腰にそっと小銃を忍ばせた。
歩き出すと、間もなく老人の家に着いた。
こんなに近かったのかと驚くほどだ。
やはり数日前となんら変わらず白く小さな小屋が森の入り口にひっそりと佇んでいた。
私は手にもっていた犬の紐を放した。
犬はとことこと小屋の裏の、恐らく元に居た場所に戻っていった。
何とも、犬らしくない不思議な動きだった。
私はもう一度小屋を見つめなおした。
これもまた不思議な雰囲気を持っている。
白く見えるのは木の上から何か塗料を塗っているようだ。
ペンキではないみたいだ、何だろうか?
はるか上空で怪鳥が奇声をあげた。
私は腰がくだけそうになった。
何度目だろうか、あの忌々しい怪鳥は度々私を驚かしに来る。
いっそこの小銃であの怪鳥を撃ってやろうか。
そんなことを考えて空を見上げていると、小屋から戸の開く音がした。
白いローブを纏った老人はじっとこちらを見つめていた。
まるで私という存在のもっとずっと向こうを見ているような、私の全てが見透かされるような、射抜くようでいて、それでいて優しげな眼差しだった。
髭は生え放題で白髪交じりである。
深く顔に刻まれたしわが老人の年齢をさらに上乗せさせる。
第一印象で感じたように、この老人からは聖人めいた神々しさを感じた。
私は小銃に一瞬手をかけたがすぐにそれは必要ないことを悟った。
老人はまるで危険な雰囲気は放っていなかった。
白いローブの裾は引きずられているからであろう、泥だらけで真っ黒だった。
それを引きずりながら、ゆっくりこちらに向かってきた。
私は不思議と怖くなかった。
私からもゆっくりと歩を進めた。
すぐ目の前まで来ると互いに立ち止まった。
私は「あの……これを……」と言いながら食料を老人に差し出した。
そして、その時私は理解したのだ。
老人は視力を失っていることに。
私は老人の手をとりその食料袋を抱えさせた。
老人はその視線を私から外さないまま、それを受け取った。
私は何とかして謝罪の気持ちを表したかったが言葉が声にならなかった。
「あうぅぅああ……」
老人はうめき声のような音を発した。
そして、ゆっくり右手を差し出した。
最初私はその行動の意味がわからなかったが、やがてそれが握手を求めていることがわかった。
僕はなるべく驚かさないようゆっくりその手を握った。
何と言う気分だろうか、この島で人に出会えた!!
私はまずこの事実に興奮しきっていた。
「私はあなたの食料を奪ってしまいました。今ではこの通り反省しています。どうか許してもらえないでしょうか?」
こう言うとしばらく老人の反応を待ったが、微動だにしない。
「あの……どれくらい以前からこの島に住んでいるのですか?この島には他にも住民がいるのですか?」
やはり老人は何も答えなかった。
その定まらない視線をまっすぐ私に向けている。
老人は視力だけでなく、言葉も失っているのだろうか。
いや、耳が聞こえないのだろうか。
ただ単に日本語を解さないだけなのか?
私はいったん帰ることにした。
聞こえているかはわからないが「また来ます」と言い残した。
別れ際、私は来る途中で拾った大きな巻貝の殻を老人の手に握らせた。
これが友好の印、そう受け取ってもらえるように。
その時老人はかすかに微笑んだ。
そして何か呟いたように見えた。
今日は何ていい日だろうか!!
私はこの島で生き抜く何かをあの老人から学ばなければ。
空腹感にはもう慣れた。
空を見上げると満点の星で腹は一杯になる。
空腹感と満足感は必ずしも一致しないのだ。
焚き火は勢いよく燃え上がり、その空間には何者をも寄せ付けない。