ゆっくりと失われていく日々の常識たち。
長い旅の終わりに何を見るのだろうか。
孤島系サバイバル・アドベンチャー。(あぶりみかん作)
餅兄漂流記 目次
■第1回 … 餅兄漂流記(壱)、餅兄漂流記(弐)
■第2回 … 餅兄漂流記(参)、餅兄漂流記(四)
■第3回 … 餅兄漂流記(五)、餅兄漂流記(六)
■第4回 … 餅兄漂流記(七)、餅兄漂流記(八)
■第5回 … 餅兄漂流記(九)、餅兄漂流記(壱拾)
■第6回 … 餅兄漂流記(壱壱)、餅兄漂流記(壱弐)
餅兄漂流記(九)
今日は大変な出来事があった。
私は先日のように老人の住む小屋を訪れた。
暖かな日差しを顔に受け、小屋に向かう途中私はいつになく陽気だった。
老人との親睦を深めるのはこの島で私に唯一許された人間らしい娯楽だった。
老人が私に手渡した大きな巻貝の殻を紐で首から吊るし常に身につけることにした。
あの老人がこれを見たら喜んでくれるかな、そんなことを考えた。
しかし小屋に着き、その扉を開けた私は一瞬だけその状態で気を失った。
そう、ほんの一瞬である。
私の意識は目の前の現実から私を遠ざけた。
老人は小屋の真ん中で倒れていた。
私はその老人の姿を見た途端我を忘れ、駆け寄ろうと片足を踏み出した。
しかし、矢継ぎ早に次の現実が私の理性を呼び覚ます。
(誰かいる!!)
殺風景な小屋の中に確かに何者かの気配を感じ取ったのだ。
そして、私の動物的な勘はあたった。
ぐるっと見渡すとすぐさま目が合った。
それは木を組み合わせた手製の木製のベッドの下に居た。
その下からギョロリとこちらを見つめている。
そしてそれはやはり人間だった。
私は体が固まり、口中の唾液が蒸発したように乾いた。
動けない私から目を離さず、その何者かはゆっくりとベッドから這い出してきた。
私は言葉を失った。
(何だ、この生き物は!!)
それは全身が毛で覆われた人間とも獣とも判別できないような生き物だった。
顔中も毛のようなもので覆われているが、その眼光は鋭くギョロリとこちらを見つめている。
陰毛のような毛髪と額はそのまま毛で繋がっていた。
頬の辺りからも長い毛が垂れ下がっている。
私はその生き物をまじまじと見つめて絶句していたが、そうばかりもしてはいられなかった。
それは私にゆっくりと近づいて来ているではないか。
何十キロもあるように感じたが私は足を持ち上げると小屋から飛び出した。
しかし、その毛だらけの生き物も小屋から私を追ってきた。
先程までのゆっくりした動作とは打って変わり、以外にも俊敏な動きだった。
私は大声で助けを呼ぼうとしたが、声が出なかった上、さらなる危険も感じたため、ただひたすら、走った。
走って、走りまくった。
しかし、私は間もなく小石につまずくとバタリとその場に倒れた。
私にその毛だらけの生き物は覆いかぶさってきた。
凄い力で私の首を締め付けた。
(万事休すだ……)
私は一瞬諦めかけたがその生き物の背後に何かを見た。
逆光ではっきりとは見えなかったが大きな影だった。
そして、その影が何か声を発すると私の首を絞める力が弱まり、そしてやがて離れた。
私は恐怖と苦しみからの解放で放心状態だった。
そんな私からその生き物は離れ、どこかへ去っていった。
私は足音が完全に消えると泣き出した。
日記を綴る老人の姿が目に焼きついている。
埋葬してあげなければいけないが、あの小屋に近づくのは恐ろしい。
以前私の食料を奪ったのも恐らくあいつだろう。
毛むくじゃらの忌まわしい生き物……そしてあの大きな影……何者だろうか。
あの生き物の仲間であることは間違いなさそうだ。
やつらが老人を殺した。
私は恐怖と憎悪が自らを激しく揺さぶるのを感じる。
さて、とりあえず眠らねば……。
横になろうとした私の体からあるものが2、3粒こぼれた。
私はそれを手に取った。そして焚き火に照らし、凝視した。
「黒胡麻……?」
それは確かに黒い胡麻だった。
餅兄漂流記(壱拾)
私はその黒胡麻を指で転がしながらじっと見つめていた。
私がこの島に来て黒胡麻のついたような食料は食べていない。
昨晩私の衣服からこぼれ落ちたその黒い胡麻は奇妙な事に私の関心をひきつけている。
というのも、この黒胡麻と昨日私を襲ったあの怪物とをある考えが結び付けているからである。
あの醜い毛だらけの怪物についていたのは毛ではなくこの黒胡麻だったのでは。
そんな考えが私の中で膨らんでは、また萎んでいく。
(生き物から黒胡麻が生えるものか。いや、そんなわけがない)
そう、あれは怪物であり確かに生き物であった。
あのギョロリとした目が今でも私を震え上がらせる。
私は考えるのを諦めた。
そして黒胡麻をテントの近くに軽く放り投げた。
老人の遺体を埋葬してあげないと。
あの怪物に出くわすのはもうごめんだが、ここであれこれ考えても前には進めないだろう。
私は重い腰をあげると小銃を手にとって、あの小屋へ向かった。
そして、そこはもぬけの殻だった。
老人の遺体は跡形もなく消え去り、家具等も整然と片付いている。
(あれは夢だったのか……?)
いや、そんなはずはなかった。
私の衣服に付いていたあの黒胡麻が現実の出来事であったのを証明している。
私は小屋をくまなく調べてみたが何一つとしておかしなところはなかった。
私はまるで狐に化かされたような気分になった。
しかし、この奇妙な出来事は私に再び恐怖を覚えさせもした。
そんな時、あることを思い出した。
あの白く大きな犬の事である。
あの犬も消え去ってしまったのだろうか。
私は小屋を出ると裏手にまわってみた。
そこには大きな白い犬がいた。
私を待っていたかのように、礼儀正しく座ったままこちらを見ていた。
吠えもせず、身じろぎもしない。
私はそっと近づくと、犬の頭を優しくなでた。
そして繋いであるロープを解くとその犬を家に連れ帰ることにした。
この犬が老人の失踪の手がかりを知っているかもしれない。
私は首に下げてある貝殻にそっと手を当てると、老人の居場所を必ず突き止めることを誓った。
私はテントに戻り、今後の対策を考えることにした。
日差しは高く昇り、浜辺を歩く私と犬を照らし続けた。
犬は見事なまで私の歩行速度に合わせてついてくる。
この犬にはロープなんて必要なかったのだ。
やがて、テントに着いた。
私は腰が抜けたのか、その場で尻餅をついた。
大きな木だった。
それが今私のテントのすぐ横、そこにそびえている。
勿論、朝には生えていなかった木である。
そう、その木が生えている辺りは今朝私が黒胡麻を放り投げた場所でもある。
私はその大木の前で時間すら忘れ、しばらく座りこんだままこの出来事に絶句していた。